ぽに平野

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ファミチキ(遺伝子バリバリ組み換え)

こんにちは。早寝しようと布団に入ったら全く寝られず、結果こんな時間になったのでもう諦めました。人間は睡眠とかいう意識的に制御できないメンテナンスシステムを走らせないと体を維持できないスーパー冗長な仕組みをなんとかしてください。スマホはいつでも再起動できるし、Androidならいつでもソースごとデバッグできます。スマホを見習え。

 

それと別に今日は睡眠の話はしません。今日は肉食について書きます。なんとなく考えていたので。

 

以前友達とピーター・シンガーの動物開放論について話していた時、やっぱり工場畜産ってよくないけど肉食べたいよねって話がありました。工場畜産って良くなさそうですよね。明らかにその動物は苦を感じる状況に置かれ、最後には殺されてしまいますから。功利主義的には良くないと思います。

 

そこで思ったのですけど、「完全に苦しみ感じることのない食肉改造動物」を造ったらそれって動物倫理的に良くないんでしょうか。遺伝子レベルでそもそも苦を感じない、いや、脳みたいな部位がほとんどなく、ただ可食部が細胞分裂して増大していくタイプの完全食肉改造動物を造るの、どうでしょうか。直感的にはなんかよくなさそうですよね。たぶん一般的な良識のある大人に話したらめちゃくちゃ怒られると思います。でもこれの"良くなさ"ってよくわからない気がするんですよね。良いじゃないですか。動物は苦しくない(いや、そもそも苦しさというフィールドに立っていない)し、食肉は得られる。そもそもシンガーは「ある存在が苦しみを感じることができる限り、その苦しみを考慮しないことは道徳的に正当化できない」としています。なら食肉動物を苦しみというフィールドから移動させればいいんじゃないの?ジェレミーベンサムの主張をより先鋭化させれば全然いける方向性だと個人的には思います。

 

考えられる反論は「そもそも改造動物を造り出すことが問題だ。人間の勝手で動物の命に介入してはいけない」というものです。でもこれって危うそうですよね。植物は改造植物のオンパレードです。皆遺伝子組み換えで害虫に強くなった植物を笑顔で食べています。「いや植物はそもそも意識もないし脳もない」という意見も聞こえてきそうですがこれは完全に棄却できると思います。改造動物を作るとしたら絶対に遺伝子操作が出発になります。生まれてきた子牛の頭をブチ抜いたりしません。これだと出発点は植物と同じになります。遺伝子を採取された動物は「ん?何?」って感じだし、生まれてきた食肉動物は「.............」って感じです。ここに何も問題はない気がします。

 

それと、あえて言うのであれば、種が種へ介入することは、地球上で「淘汰圧」という形で日常的に行われてきました。なぜあえて言ったのかと言うとこの一文は逆説的に倫理の深入りを棄却できる装置となりうるからです。つまり「種の、他種への介入は生態系の破壊など外的なものが主であり、遺伝子の操作などの直接の介入は別である」と反論したとします。外的な介入と生命の根幹への介入、一見これは大きく異なるもののように考えられますよね。しかし何が違うのでしょうか、いえ、むしろ外圧として種の在り方に影響を与える方が、遺伝子そのものを操作して数個体のみを別のものへと変えるだけの分水嶺のような技術よりも邪悪ではないでしょうか。ここで僕は今恣意的に邪悪と言いましたが、このように、良い、悪い、の規範倫理学的な沼に突入してしまいます。動物倫理においては本旨ではないでしょう。よって種の種への介入という観点からの反論は現在取り合うべきではないと考えられます。

 

約束のネバーランドにも(以下ネタバレ有り)下等農園では意識すらない人肉が育てられているという一節がありましたが、このシーン僕的にはけっこう違和感があったんですよね。意識なく育てられている「人肉」のことを考えて、エマやレイは血の気が引いていました。いや気持ち的な意味ではわかりますよ。同種がそんなことされていたらまあ嫌でしょう。でもそっちの農園の方が倫理的ですよね。彼らは現代の家畜よりもはるかに"何もわからず"、ただ出荷されていくだけなんですから。高い知能のもと食われることに気づいてしまったエマ、レイ、ノーマンの方がずっと悲惨です。

 

ちょっと話逸れるんですけど、グレイスフィールドを始めとした各高級農園、「農園」のカラクリに気づいた瞬間に開放して人間界に帰してあげたら倫理的かなとちょっと思ったんですよね。気づいた人間は殺されるレールから外れ、気づかなかった人間は幸せな世界を見続けて瞬間的に殺されて出荷される。ベンサムの家畜論からいけばけっこう倫理的な人肉農園の運営にならないかな、と。でもこれ大きな問題があって、気づいちゃった側は「気づかなかった兄妹」が殺されてしまうんですよね。気づいた時点で皆に教えたら農園の運営は壊滅するし、教えなくても「気づいたあなたは出荷しないよ」と帰してあげたら「兄妹達が!!!!」ってなってしまって全然幸せじゃありません。この方向性はだめそうですね。う~ん。

 

約束のネバーランドってかなりそういう動物倫理への痛烈なメタファーになっていて、考えさせられる作品なんですよね。農園から逃げた時に助けてくれた人間を食べない鬼もまさにその手の 宗教的主義を強くイメージしていますし、特にコニーが最初に殺されるシーンもあれだけ怖く描かれているものの(いや、普通に愛するハウスの兄妹が殺されていたら怖いけど)、ユダヤ教のカルシュートにおける「屠殺は人間が動物を殺す上で最も慈悲深い方法をとらなければならない」のように、心臓を一突きと苦しまないような生物への慈悲が感じられます。(いやまあ傷をつけないようにとか実務上の問題はあるだろうけど。)

 

 (ネタバレ区間終わり)

 

だいぶ話が逸れましたが、やはり改造動物を作って肉を増やすということの倫理的な問題ってあんまりなさそうですよね。直感的になんか嫌だっていうのはありますけど(僕はありませんが、、)。でもこの嫌さってなんなんですかね、命をいじることの良くなさって度々議論されていますけど、あんまり僕にはわかりません。例えば人間の遺伝子組み換えって聞くとたぶん大勢の人が嫌な顔をすると思います。でもそれで失敗してバケモンになることとかがありえなくて、完全に確立された技術で「花粉症にならない」とかなら全然遺伝子組み換えしてほしいと思いますけどね。予防注射と一緒では?たぶんこの嫌さって命をいじるとかそういうことよりも単純に未知の技術すぎることへの 畏怖でしょう。たぶん50年後の若者は僕らがスマホで読書するのと同じ感覚で脳にコンピュータをぶっ挿せると思います。

 

この感覚的な問題が時間に回収されれば改造動物の肉を食べて倫理的なステーキを食べられる日が来るのでしょうか。なんかそれより先に植物由来の合成肉ができそうだけど。

 

なんかダラダラ書いたせいでまとまりのない文章になってしまいました。食肉の話なのに結局途中でマンガの話してるし(おたくがよ)。食肉改造動物賛成、反対とか思うところあったらコメントください。

 

僕はAKIRAクライマックスの鉄雄のように、無意識で増殖する"牛肉"がスーパーでグラム100円とかで売られる日を待ってます。それではまた次回。